松田選手 ソフトバンク時代
学生から羽ばたきソフトバンク時代はー?
・社会人ドラフト会議にて希望入団枠制度により選択され、12月2日に仮契約を行い福岡ソフトバンクホークスに入団した[5]。12月5日に入団会見を行い、背番号は「5」に決まった[6]。ソフトバンクはチームの若返りを図る方針へ転換し、同年27本塁打を記録した正三塁手のトニー・バティスタとの契約を1年残して打ち切り[7]、松田を江川智晃らと競わせるとし、二塁手へのコンバート案も挙げていた[6]。
2006年は開幕一軍入りを果たすと、3月25日のパシフィック・リーグ開幕戦でスタメン出場[8]。新人野手が一軍の開幕戦にスタメンで出場したのは、小久保裕紀以来チーム12年振りであった。しかし6月15日に二軍落ちすると、そのままシーズンを終えた[8]。
2007年は前年まで読売ジャイアンツに在籍していた小久保裕紀がチームに復帰したため、シーズン前半は出場機会がなかった。しかし二軍で打率.331、チームトップの9本塁打の好成績を残し、多くの故障者を抱えるチーム事情から6月に一軍に昇格し、そのまま一軍に定着。8月には月間打率3割を記録し、200に満たない打数で7本塁打と長打力の片鱗を見せた。